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2004年04月08日

互換プロセッサ・ビジネスにこだわったAMD

互換プロセッサ・ビジネスにこだわったAMD - @IT

設立当初のAMDは、他社のロジック製品などのセカンドソース生産を主たる業務としていた。1975年になると、Intelの8080Aのセカンドソース生産を開始し、プロセッサ市場に参入することになる。(中略)

以前は現在に比べて買う(システム・ベンダ)側の力が、売る(半導体ベンダ)側の力よりはるかに強く、システム・ベンダは半導体製品購入の条件として、セカンドソース供給も含めた安定供給を求めることが多かった。Intelもその例外ではなく、多くの会社にセカンドソースを認めていた。(中略)

その方針が変更されたのが80386の時代に入ってからだ。80386以降、それまで認めていたセカンドソースを、Intelが供給に責任を持つということを理由に、原則的に認めないことにしたのである。(中略)

しかし、同じ動作クロックで1.5倍近い性能を発揮するIntel 486の時代を迎えると、新しいプロセッサのライセンスを受けられないセカンドソース・ベンダは窮地に追い込まれることになり、多くが撤退することとなった。(中略)
そんな中、x86互換プロセッサのビジネスにこだわったのがAMDだ。(中略)

1995年に和解するまで、AMDはIntelとの間で長い法廷闘争に入ることとなる。結局、AMDは法廷での結果が出る前にAm386(AMD版の80386互換プロセッサ)やAm486(AMD版の486互換プロセッサ)を世に出すため、途中からマイクロコードの自社開発に乗り出すことにした。

上記の引用がAMDの簡単な歴史です。

これを踏まえたうえで、IntelとAMDの64ビットx86技術は「100%近い互換性」との報告書 - ITmediaニュースを読むと、"Intelが64ビットのx86アーキテクチャで、ほぼあらゆる局面にわたってAMD64を「手本としている」ことが分かった"とあるのは、AMD史上にてまさに歴史的な快挙だったと思います。

AMDの新しい戦略となる「x86 Everywhere」 (すべてのマイクロプロセッサをx86に) にも
こうした歴史的な重みもあったわけですね。
AMD、x86プロセッサを拡大へ - ITmediaニュース

またINTELとAMDを比較する場合に、以下も知っておいた方がいいかと思います。
(参考サイト:AMD社の歩み - AMD資料よりMatrix Vol.18など)

1956年:ショックレー・セミコンダクタ設立
→ メンバーは、R・ノイス&G・ムーア(後のインテルの創業者)。
1957年:フェアチャイルド・セミコンンダクタ設立
→ 上記メンバーなどがショックレー・セミコンダクタを退社し設立。
→ J・サンダース(AMD創業者)がセールスマンとして入社。
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1968年:インテル設立
→ フェアチャイルド社からスピンアウトしたR・ノイス&G・ムーアが設立。のちにA・グローブも参加。
1969年:AMD設立
→ フェアチャイルド社を解雇!になったJ・サンダースにより設立。

つまり、インテルの創業およびAMDの創業に関わった人たちは、過去同じ会社にいたわけです。
以前読んだ本によれば、ジェリー・サンダースはインテル設立に呼ばれなかったとのこと。
そこで何があったかわからないけど、そこから両者の因縁の対決が始まっているわけですね。

参考情報
AMDとIntelの64ビット技術、わずかな差異が物語る両社の冷戦関係 - ITmediaニュース
IntelとAMDの64ビットx86技術は「100%近い互換性」との報告書 - ITmediaニュース

Posted by nueda at 2004年04月08日 01:38 JST | トラックバック | ホームに戻る
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